「ありのままで良い」に対する私見

人生つまづきまくり、七転八倒、自称カオスオブザカオスのおきょうさんです、どーもこんにちは。

今回有り金はたいてちょっと遠方に引越ししたはいいけど転勤先と折り合いつかなくなり、かといって旦那と同居も今更やね。ってことで、結婚当初住んでた大都会に戻るかもしれません。まだ正式に決めた訳ではありませんが。

何にせよ所持金ほとんどなしでのリスタートになりそうです。(状況こそ悲惨だけど不思議とそこまで苦しい訳でもない…元々結婚してからずーっと綱渡り人生だったせいで感覚が麻痺してるっぽい)

  

さて、この半年間、公私ともに人間関係に悩み続けました。愛とは何か。自分とは何か。あまりよく知らない友人にうっかり一目惚れ(ということでもういいですww)して今や疎遠、3月以降は職場の人間関係でも苦しみ、日々心中穏やかではない。

Google先生にいろんなワードで尋ねては、返されてきた記事を読み漁りました。

心情面について検索するとどうしてもスピリチュアル・自己啓発系に行きあたりがちですが、調べるたびに「ありのままの自分を認める」「自分を受け入れる」という言葉にとても多くあたりました。

「ありのままの自分ってなんだろう?」ってめちゃくちゃ悩んだ。本当に悩んだ。心底悩んだ。

 

悩み抜いた末の結論は「どんな自分であっても所詮はありのまま」でした。

自己啓発ブログを読むたびに「ありのままの自分でなくてはならない」かのように感じていたけれども、そもそも「ありのままの自分でいられない」ことも含めて「ありのまま」なんじゃないのかなぁと思うようになりました。

逆に「〜でなくてはならない」「〜ねばならない」って思考に陥らせることで「ありのまま」からかけ離れていく。

だって「べき思考」(こうあるべき)に陥る時点で既に自分らしさからかけ離れてるじゃないですか。

 

他人の意見に左右されずに自分の人生を決めていく。それこそが自分のありのまま。

自己啓発ブログが何を言おうとも、世の中の誰かが何を言おうとも「自分が納得できる自分」でいられたらそれでいいんですよね。うん。

 

だからもしかしたらもしかすると、わたし自身は「ありのままの自分ってなんだろう?」と悩み抜く前に、既にありのままの自分として生きていたのかもしれない。笑

 

最近はありのままのみならず「どういう自分でありたいのか、諦めないことこそが幸せの第一歩」かなーと感じてます。

「ありのままの自分を認める」という言葉に「諦めなさい」という意味を見出してしまっていましたが、わたし自身は「向上心を持ち続けなさい」と読みかえることで、大変気が楽になりました。

 

昨日「この人の人生経験をもっと知りたい」と思えるような方から、営業代行のお仕事(お品物のコンセプトは良さげ)のお話をもらったので、まずは自力で1個だけ売ってみようかなと思ってます。

職場の環境に不平不満があるのなら、尊敬できる人の前で、言葉よりも行動を変える。そうすれば見えてくるものもあるはずだ。

 

わたしはわたしがもつ理念を大事にする。世界平和と他人の幸せを願えるわたしでいたい。自分の労働もお金も時間もすべて自分にとって価値のあるものに注ぎ込みたい。

ひとの気持ちに余裕が生まれることで、環境も動物にも優しくなっていくことを信じている。

自分の理念を大事にした上でわたしとして生きていく。

合わないものにしがみつかない。なりたい自分を目指していい。

 

そうやって諦めずに「わたし」を生きていく先に幸せがあることを信じます。

孤高だの愚行だの未熟者だの素直すぎるのが悪いだの、いろいろ陰で言われているけれど、わたしはわたしの足でわたしの人生を歩めることを、信じます。

 

いま、お金はゼロ。ほんのちょっとの信頼を片手に、家族から自立。

33歳リスタート。どうなっていくことでしょうかね。

 

まあ、いいのさ。どうせ人生致死率100%だし。ね。