二面性の世界を渡り歩く

今の職場は裏表なくいろんな話をすることが多く、その中から必要な気付きを得ることが多いです。

特に同僚(先輩)とは悪気無くお互いにストレートに意見を言い合い、趣味(そのものは全く違うのだが)を通して見ている世界・余暇でやりたいことが近く、…もしかしたら向こうはわたしの物言いにこっそり気分を害しているかもしれないけど、常日頃笑い合ったり励まし合ったり意見交換したりができている。と思う。(有難いことに、ご本人から直接そういうフィードバックをいただいている)

 

リアルでストレートな会話をし続けていたり、TwitterSNSでストレートな気持ちを書き殴ったりしていると、それを受け取ったいろいろな人たちから反応をいただいて、思わずムッとしたりエッと思ったり、もちろん凄い有難い励ましをいただいて嬉しかったり、生きている限り色々あるけれど、基本的に感情とは自分自身の受取方やお互いの背景からくるのだと理解できるようになった。

だからこそ、わたしが会社で認められていないと感じる理由が「上層部からの(過剰な/おせっかいな)心配」だったりするときには、直情的に「(心配される根拠は理解した上で)それは差別だ」と感じつつも「過剰ながらも愛されているんだ」とも受け取れるバランス感覚は養われてきた。

(※例の先輩曰く「それを突き詰めていくと結局『自分が悪い』と思い込んで終わるからよろしくない」とのことだが。)

なんだかんだいって、お陰様でわたしも順調にオトナの階段を上れてきているようだ。

 

逆に言うと「人間の表面(表現)に出てこない部分に二面以上の可能性がある」という事実は、真面目に考えれば考えるほど人間不信に陥ってしまいがち。

人間の行動パターンにおいて、有言実行・不実行/不言実行・不実行という様々な性質が複雑に絡み合っていることを思うと、結局のところ「他人とはわかりあえない」「自分が一番大事である」ことが前提で「自分のほかに誰を大切にしていきたいのか」ということをその都度見極めていくのが、この世界の渡り歩き方なのかな…???

結構大真面目に考え抜いて、そんなような自論に辿り着いた。

 

因みに、相手が真にどういう人なのか見極めるためには、ノンバーバル(非言語)コミュニケーションの読み取りが重要だと思う。

実際にリアルで会い、相手がどういう空気感を身にまとい、どういう表情でこちらの話をきいてくれるのか。そしてある程度の年齢以上であれば、どういう顔付きをしているのか。

「40代以上は自分の顔に責任を持て」と聞いたことがありますが、その通りだと思う。日頃の行いや心持ち、生活様式がすべて、顔付きや表情、そしてたたずまいにあらわれてしまう。

そういった要素によって相手がどういう人なのか判断することができる。もちろん過信は禁物で、ある程度付き合いを重ねてはじめて見えてくる要素も多いため、少なくとも第一印象だけで相手の性質を決めることは難しい。

 

もしメールなど文章のみで相手の真意を見極めたいのであれば、自分がただ素直に・ストレートに受け取ってどう感じるか、自分のことをひたすら信じるしかなくなってしまう。

自分に自信があって、相手に傷付けられて誤解されて裏切られても良いと割り切れるのであれば、勘違いを飲み込んだまま文通相手として関係性を構築できるとは思うのだが、自分に自信がない場合はそのやりとりそのものを過信してはならない。と、思うようになりました。

何故ならば、自分自身のコンディションや相手への感情ひとつで、相手が天使にも悪魔にもみえてしまうから。

 

何にせよ、最終的に「自分にとって快適な相手か、不快な相手か」という判断で付き合いを決めて差し支えはないですけどね。きっとね。

 

あともうひとつ。

わたしはTwitter(匿名)に無意識+直情的に事象の愚痴的な面ばかり書いていて、そうすると「何てダメなやつなんだろう」って見えるよねぇ。と。

逆にFacebookInstagram(ほぼ実名)だと、前向きな言葉ばかり並べてあって、わたしってアカウントによって全く違う人間に見えるんだろうなぁという可能性に今更ながら気付きました。

どちらも同じわたし自身に変わりありませんが、ネットはリアルの延長線上という事実を踏まえて、事象の切り出し方ひとつで利益にも不利益にもなるなぁと思った時に、ひとまずおきょうさんTwitterは放置することにしました。

わたしにTwitterは向いていない。Twitterを使いこなすには匿名であってもリアル準拠という感覚をもう少ししっかり持たないとダメですな~と。

このブログみたいに、しっかり考え抜いた事柄を、なるべく丁寧に言葉を紡ぐほうが、わたしには合っているようです。