わたし目線の結婚生活の果て

人とはコンディションで受け取り方も変わるし、気持ちは常に揺れ動く。

伝えるべき言葉を伝え忘れたり、うまく伝わらないこともよくある。

何なら相手が伝えてくれた言葉に対する真実や背景はわからないものである。

 

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大体1ヶ月くらい前にですね、下記のような投稿をしました。 

 

数年連れ添った夫婦ですもの、離婚しよう→いいよは1秒で済んだとしても、→はい。さようなら。などとすぐに動ける訳がなく。

現実的な話、きちんと清算しないといけない事柄がたくさんあります。

そのくせして「はよ別れたい」と思う自分と「別れてはならない」と思う自分の間で、感情がブレブレでした。人間ですしね。

 

別れる意識を持ってから、自分が現状維持のために苦しんでいたことを手放したら、旦那も頑張ることをやめたようでした。

そうそう。お金の主導権を彼に返しました。実は彼は「お金の管理はできる」と主張するものの、わたしからみる限りどんぶり勘定甚だしく、月末に帳尻が合わないことが連発し、最終的にわたしが尻拭いさせられている気持ちになることが多かった。

いざというときに帳尻合わせしていたのがストレスだったので、ある時期からわたしが主婦として二人分の財布を管理していた訳ですが、彼がいくら使い込もうと、わたしがいくら使い込もうと、結局のところ事実として帳尻を合わせていたのはわたし…と感じてしまうようになっていった。

いくら窮状を訴えても「ぼくは現状維持で満足しているから変える気はない」と突っぱねられた。

わたしが管理することで多少貯蓄できたけれど、相手も我慢していたようだし、わたしも我慢していた。この辺は別にどちらが悪い訳でもない。

離婚話のあと、彼は昔の事業費・生活費のために借金したことに関して(全て彼名義/彼承諾済)「お金は愛なんでしょ?なら、おきょうに慰謝料で少し負担してもらえば良いよね」云々言ってきた。

「それは構わんけどさ。昔わたしもきみとの生活費のために借金したよね?わたしが体調を崩して離職することになり、返済方法について困り果て、きみに事前に相談しようとして取り合ってくれなかったよね?結局わたしはひとりで法テラスに相談に行って然るべき措置をとったはずだけど」と反論すると大喧嘩になった。「おきょうもクレジットカードがなくなったら大変だろう?」「いや、別に、わたしはVISAデビットで十分だけど…」

どうやらその日は相手の発言の真意を測り損ねたらしい。

その状態で財布を返した。そうしたら、彼はお酒をバンバン買うようになって、今や毎日飲酒三昧。

そして体調が悪いって。だるいって。仕事もしんどいって。朝起きるのが遅くなってきた。本人曰く整形からくる辛さとは言うが、少なくともその生活を続けていたら肝臓を壊しかねないし、何かを削らない限り酒代も馬鹿にならないと思うんだー。このままなら来月以降の支払いまずいでしょうにね。

多分、今のままだと、「(わたしが通帳を渡す時に現状の収支を伝えなかったせいで)管理できないんだ!ぼくは悪くない!」と言われると思う。

じゃあもっとしつこく引き継ぎを催促しなよ、一旦自分で通帳つき合わせて計算してみなよ、と思うけど、本日6連勤ぶりの休日を返上して、引き継ぎ書類を作ろうと思います。

 

しかしな、別れようと話した時に即答でいいよと言ったのは相手。「おきょうのことを愛してるから、いいよ」と言っていたが、その後の生活の質が全く以てよろしくない。本当に良いと思ってるの?

仮に嫌なら「嫌なものは嫌」と一度くらい言えばよかっただろうし、離婚前なんだからいつでも撤回しても良い訳だし(離婚しないとは言ってない)「おきょうと一緒に暮らすために自分の健康に気をつけていた(=別れ話後に酒量が増えた)」というのであれば、逆に言うと自分のことを大切にできない人だったんですね、と見えてしまうようになった。

 

彼は常にいつでも「愛しているよ」と伝えてくれる人だった。お互いに愛と感謝の言葉をたくさん尽くしてきた。愛しているよと言われるたびに、愛されている幸せを噛み締めることができていた。

彼が家事を担ってくれることも多く(やろうとしたら嫌がられるから)わたしは働くことに集中することができた。

 

長く暮らしていくうちに、わたしの主張を彼に受け入れてもらえない感覚が増えていった。「××をされるのが嫌。できない自分に落とされているみたい」だと伝えたとしても「それはおきょうの受け取り方の問題だね。ぼくはそう思ってないから」といわれ、同じやり方を続けられてしまったときに、わたしのこころを蔑ろにされているような寂しさがあった。

逆にわたしが彼のことを認められずに暴言を吐いたこともある。わたしのことをわかってくれない。彼自身がやると言ったことでも最終的に言い訳してやってくれない。行動に移したことがわたしの望みとは違うじゃないか。わたしよりも仕事ができないじゃないか。ああ!期待を裏切られてばかり!!

 

結局のところ、わたしは(そしてきっと彼も)「双方基準での愛されたがり」だったのだ。お似合いね、わたしたち。

 

わたしが元気になって、自分のペースであれば自分の分の家事ができなくもないくらい体力がつき、ひとりでできることが増えて、仕事に恵まれ、会社の人たちに可愛がられ、人生で成し遂げたいことを見つけてしまったとき。そのタイミングで出会った人たちの言葉と態度で、わたしの世界は崩壊した。

 

無理に言葉に表さなくても気遣ってくれるような態度さえみえれば、本来は有難いのだと思い知った。

生活や経歴が謎めいていて、言葉足らずで本意や真意が不明な人だったとしても、きちんと丁寧に対応しようとしてくれる人とか。わたしがやればできることを信じて応援してくれたり。大きな仕事を委ねてくれたり。そして、できたことは褒めて認めてくれるとか。

ああ。いざという時に手を差し伸べてもらえるだけで、十分幸せなんだな。みたいなね。

 

そして無償の愛の本質は「相手がどのようであってもそのまま受け入れられること」なんだろうなってね。

 

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一昨日、とうとう旦那からはっきりと「離婚しよっか。」と言われた。

その瞬間、無条件にワクワクした自分と、そして「旦那を愛せなかった」と感じた自分が情けなくて、意味のわからない涙があふれてしまった。

 

お互いが自分を大切にしながら自分らしく生きていく未来を祈ります。