結婚という契約の解消をします。

「結婚とは何か?」

社会通念上、夫と妻が婚姻届を役所に提出することで、晴れて"結婚した"と認められる。

婚姻届とはある意味「契約」で、婚姻関係にある者は民法や税制上で様々な優遇を受けられる。

どちらかが不貞行為を働けば、一定の裁量の元に裁かれる権利が生じ、夫婦であるという理由だけでお金が楽になる制度がある。

 

その現状を踏まえた上で、わたしたちは下記の疑問を持ちはじめた。

「わたしたち夫婦が離婚をして、わたしが夫の姓を名乗り続け、同居し続けた場合、何が変わるのだろう?」

①まず役所や会社に関して、税制上の優遇措置がなくなったり、夫婦ではないことによる手続きが生じるなど、多少なりとも影響は免れないはず。(あまり詳しくないけど)

②国が認める正式なパートナーではなくなるため、身内の承認が必要な場合(例えば緊急事態対応や遺産相続)に除外される。

③親や世間にバレると、理解されないどころか、場合によって責められる。

…あとは?

逆に言うとそんなもんか?

 

①について:自分たちの家庭状況と照らし合わせた時に、今現在は少なくともわたしは扶養から外れており、税制上の優遇措置を享受できるほどの立場になさそうだった。

②について:確かにその通りではあるのだが、本当に取り決めが必要な状況なら、公正証書など他の法的契約に切り替えることはできないものだろうか?
と話していくうちに、我が家は年の差結婚だし、最悪の場合は岡本太郎氏のように「わたしが旦那の養女になる」という選択で切り抜けられるのではないかという結論に至ってしまった。

③について:他人の事情に口出しする前にご自身のことに向き合った方がよろしいかと思われますわよ♡(というスタンス)

 

因みに、結婚をした/していない状態に対して、愛がある/ないという単純な見立てはできない。それを言ってしまえば同性愛やポリアモリー等のパートナーシップを真っ向否定することになるし、そもそも愛なんてそんな単純なものじゃない訳で。だから結婚制度なぞ契約または行政管理上の都合にしかすぎないのではないか。と思うようになった。

そのように話し合いをしていくうちに、わたしは「結婚制度」に敢えてのっかる必要性を感じなくなった。旦那も同意するという。

 

さて、表題のとおり、とうとうわたしの方から結婚契約の解消を切り出ししました。

自分の為に敢えて表明するけど、決して他に好きな人ができたせいではありません。

 

友人知人にはよく「これほどまでに仲の良い夫婦なんて見たことがない!」と言われてきました。

とってもよく誤解されるのですが、わたしたちは決して何事もないままに仲睦まじかった訳ではありません。わたしたちが家族で居続けるために、三度の飯よりミーティングばりに事あるごとに話し合って、話し合って、話し合いまくってきました。

一般家庭の会話量の10倍以上はお互いのことを話してきたのではないかと思います。

無条件に仲が良い夫婦なのではなく、双方に努力をしたからこその仲の良さだったんです。

 

でもそれだけ話し合っても絶対に埋められないものがありました。

お互いの価値観というか、人間性というか…。文章では表現することができない感覚の話になってしまうのでここには書けませんが、わたしにはそういう埋まらない部分に対して、ずっと孤独を感じていました。

「一生分かり合えない存在」と「生きていくために共闘している」状態で、それはそれで幸せなはずだけど、何だか虚しささえ覚え始めるくらい、疲弊していました。

 

で、今回、自分自身と向き合わされるような貴重な出会いの数々があり、わたしは必要最低限(Human-Rights)何を欲しているのか?否応なく考えさせられました。

また「各個人は3点の大事なものに支えられている」という話もきいて、改めて自分を見つめ直したときに、「自由」「主体的に選択して生きていくこと」「お金の為には生きていかないこと」は絶対に外せないとの振り返りが為されました。

今の旦那と一緒に居ると、その3つが思うようにさせてもらえない…というか、「わたし」が「自由」で「お金とは関係なく」「主体的に生きる」上で、彼の求める生活や関係性が重荷になっていることに気付いてしまった…。

 

という現実を昨日突き付けられて落ち込みました。どうやら寝てる最中にも考えていたらしく、朝はすっきりした気持ちで起き、わたしの中では既に離婚することに決めてありました。その旨伝えたら、あっさり「わかった」と言われました。

そう、あの人はそういう人だよね。もっと抵抗されるかもしれないと思ったけど。

これで至極円満に離婚の合意が成立。

 

一応三度の飯よりミーティングの原則に基づいて、朝ごはんを食べながら理由も伝えました。

「わたしが欲しい愛と与えられる愛、あなたが欲しい愛と与えてくれる愛にズレが生じたと思うんだよね。わたしがボロボロで大変だった時にあなたに助けてもらえたから今を生きている。それは今でも感謝している。でも、申し訳ないけど、今はその関係性が苦しいから、ちゃんと自立してこの家を出ていこうと思う。」

「それはわかってた。僕はこの通り"ケア"の人だけど、今の君は"セラピー"を欲しているからね」

 

ただ、今すぐではないよね、ということでも合意がとれました。

わたしは自由に移動していたい風のような人、旦那は土地に根付きたい人なので、わたしの次の行先が見つかったら離婚しましょう、と。

まずは混ぜてしまった財布の分割と、ふたりの生活費のために旦那に背負わせた借金を何とかしないといけない。

ただ、その借金はすべて旦那名義なので、旦那が引き受けるとは言ってくれました。旦那ひとりで返済ができるのであれば返済するし、もし出来ないようだったら…

「そうだね、君が常々"お金は愛だ"といっているし、返済が大変なときは慰謝料というかたちで少し負担してもらおうかな」…とのこと。

 

このような素晴らしい旦那と巡り会えたことに心から感謝申し上げます。彼のお陰で今のわたしがいる。彼が居てくれたお陰でわたしは生きている。

だからわたしは一生"家族"で居るつもりです。大事な人であるということには変わりありません。

 

家族のかたち、愛のかたちは人それぞれ。うちではそういう結論に至りました。

 

追伸。今更ですけど、子どもはいません。検査をしても異常なし、原因不明の不妊で子どもができなかったのは運命だったのでしょう。

また、借金の件は、いろいろあったが故の結果なので、わたしとしては旦那が全額負担してくれる流れにせいせいするところが無きにしもあらず。ただ責任の一端はある以上、わたしも完済まできちんと向き合います。

他人と一緒に暮らすといろんなことがあります。公に書けないことも含めて。