「不安だからこそ動き続けるのです」

わたしの人生に多大なる影響を及ぼした、恩人的存在な某社長の言葉。

 

その方は一部界隈では知る人ぞ知る「凄い人」で、わたしも尊敬している。
その方のお陰で九死に一生を得た時期もあって、その方のお陰で今のわたしがいるといって過言ではない。

 

めちゃくちゃアクティブな方で数日後どこにいらっしゃるのかもわからない。
コロナ禍下でなければ、今も日本中・世界中を飛び回っていただろうと思う。

 

そのような凄く見える人ですらたくさんの「不安」を抱えていて、その不安を払拭するために、未来のワクワクに向けて常日頃活動している、というのだ。

 

 

 わたしはこれからの人口減少が怖い

2050年の人口が現在より3700万人減少。試算すると大体現在の北海道〜関東地方(東京・千葉除く)規模の人口減。

2050年だと、わたくしは還暦くらい。現在の医療水準で考えれば、生きてる可能性が高い。

ということは今からジジババになっていく間に、未曾有の変化が起こるはず。

ゆるやかに、しかし確実に、いろんなものが無くなり、いろんなものが生まれていくはずだ。

未来の見通しのたたない変化なぞ、怖くて不安ばかり。

 

今年は新型コロナ騒動で、新しい生活様式だの何だの、オンライン会議推奨だのなんだの、強制的に変化させられているが、そんなことが比じゃなくなるほどの時代転換を迎える覚悟はしているつもりだ。

 

「自分が自分の主体で生きていく自由」は手放さないと誓う

現在の常識では成り立たないかもしれない未来に向かって、わたしは何をしたいんだろう?どう生きていきたいんだろう?と考える時間が増えてきた。

わたしが欲していて、今後も揺るぎないだろうことは「自分が自分の主体として生きていく自由」これだけは絶対に譲ることはできない、と思う。

 

「自分が自分の主体で生きていく自由」を手に入れたいとき、絶対的に必要だと思うのは
①選択肢に対する答えは自分の頭で考え、決断に納得していくこと
②考えた結果は最後まで自分の手綱に留めること
③自分にとって大切なものは絶対に自分から手放さないこと

+αとして、他人を自分の思う通りにコントロールしないようにすること。

などとわたしは感じている。

 

選択肢に対する答えは自分の頭で考え、決断に納得していくこと

「誰かにそうしろと言われて嫌嫌従わされた」ということも生じるかもしれない。

「社会が」「常識が」「親が」…いろいろな理由と、自分がやりたいことが競合することなんてよくあることだ。

ただ、従ったと感じる決断をしたのならば、「従わされることを容認したのは自分だ」と考える。そうすることで、自分が選んだことになるから。

 

これから先、「職業選択」が大きく変わっていくと思われる。
AIの台頭で「無くなる職業」と言われている仕事も多いし、そもそも地域というものが既存の枠組みで収まらなくなる時に、自分が望む生活のために引越したり、やむを得ず手放したりしないといけないことも増えてくるかもしれない。

その時に「こうせざるを得なかったから」という気持ちで生きていくより「わたしはわたしのためにこうすることにした」という決断の方がよっぽど幸せだ。

 

考えた結果は最後まで自分の手綱に留めること

「こんなはずじゃなかった」ということも踏まえて受け入れていきたい。

自分の理想通りにうまくいくことだけじゃないはずだから。

必要に応じて「ごめんなさい」を言えるくらいの余裕をもちたい。

誰かのせいにする限り、お互いがお互いを縛りあげて不自由にしかならないから。

わたしが行った結果はわたしのものとして引き受ける。だからこそ自由で居られるのだ。

 

自分にとって大切なものは絶対に自分から手放さない

わたし自身は大半のモノは断捨離しちゃえばいいと思う。部屋に眠る物質然り、人間関係然り。

モノが少なければいざという時の移動が楽だし、人間関係のしがらみほど不自由なものはない。

「あなたのためを思って」という助言は、自分に決定権があるうちは選択肢を広げてくれる良いものだけど、「そう従うべき」というパワーを湛えて叩きつけてくるような相手とは、付き合わない方が気楽だ。

そのような人とわざわざ付き合わなくたって、自分を自分として生きていくことによって、自分に対する理解のある友達に恵まれるから。

生きていく上で大事にしたいものというのは誰しもあって当然で、大事にしたいという気持ちを、自分が一番信じて大切にしてあげなければ、他の誰かは何もできないのだと、痛いほどに学んだ。

 

本当はいつも死にたい。だからこそ全力で生きていく

幼少期からありとあらゆるいろんなことがありすぎて、自殺願望を抱えたまま大人になった。

大人になって、この世の渡り歩き方も見えてきて、愛してくれる人たちにも恵まれてもなお、毎日死にたいという気持ちが払拭できない。

わたしはこの虚無感を抱えながら人生を全うするだろう…と、諦めの境地でいる。

ただ最近は、毎日死にたいけれども、死ぬことを考えて嘆き続けるのではなく、明日死んでも良いように、毎日の暮らしを大切に生きていこうと思えるようになった。

 

過去のことを思い出す度に死にたい。

未来のことを考える度に死にたい。

だからこそ、死ぬ瞬間まで全力で動き続けるし、自分が自分でいられるために闘い続けるのだ。