こんにちは。おきょうです。
例の自動二輪教習、難航してます。
一本橋は出来るようになったんですが、今度はクランクで吹っ飛びました。
足を強打して、幸いにも打撲傷で済みましたが、中々治りません。うまく歩けないまま1週間半が過ぎました。
以下教習所の愚痴なので興味のある方のみどーぞ。
どう自分自身で乗り越えていくか、引き続き運命に試されている状況です。
教習を受けるにあたって悩んでいます。それは、バイク教習が怖くなってしまったこと。
原付は相変わらず好きで乗れますが、教習所に行くのが憂鬱になってきました。
担当教官との相性が絶望的によろしくない。
(わたしからみて)具体的な指導がなく、いつも混乱している中でバイク乗っています。
こちらとしてはうまくできたと思っても、教官からは「違う」と言われてしまう。
違うと言われても何が違うのか、OKの状況とNGの状況の差に具体的な説明がない。
頑張って確認しようとしても、コミュニケーションがうまくいっていない。(これは恐らく双方が感じているであろうジレンマ…)
実際に先生の言うとおりにやっていてもNG、やっていなくてもOKと言われる時が多い。
そして何故か「○○しませんか?しますか?」という訊ねられ方をする…。常に圧迫面接みたい。
例えば唐突に「小型に切り替えませんか?切り替えますか?」と言われたことがあるのですが、中型免許を取って250ccに乗りたい自分としては小型免許に切り替えるのは不本意な訳です。
教官から何の根拠の提示もなく、わたしとしては望んでいない提案をされたと受け取ったので、いくつか言葉を交わした上で「考えます」とお伝えしたところ、後日「小型免許ではなく、小型バイクで一旦練習したらよいと思った」と言われる。え?一時的な話だったの???
それでいて「私(教官)は小型免許から限定解除しています」「小型免許に切り替えるのなら~…」といろいろ仰るのだから、暗に切り替えろと言う意味なのだろうかと疑心暗鬼になってくる。
専門家として小型に切り替えるべきと思うのであれば、ハッキリと言ってほしい。
核心や根拠・前提を隠して相手に選択を委ねるかたちで何かを尋ねられても、意味不明。
「このまま教習時間数が増えていくと、正直ヤバイです。私(教官)のなんちゃらかんちゃらが危ういので。」知らないよ。どういうことだ。
因みにわたくし、ニーグリップがイマイチうまく体得できていないのは理解しているので「(実車がない)自宅で練習や筋トレしたいのですがどういう運動をすれば良いですか?」ときいても「わかりません。ここで覚えるしかない。」と言われてしまう。
待ってー!!!
全く教習所と関係ないサラリーマンの友人たちが、「自転車でやれば?」とか「体幹鍛えたら?」とか「椅子にまたがれば?」とかまだもっと具体的な(?)助言をくれてましたぞ?? みんな超適当だけど。
教官がクランクでは断続クラッチ?をしなさいと言うのですが、どのタイミングでクラッチを操作すればいいのかわからない。わたしの普通自動車免許はAT限定だから、クラッチ自体がまだ何となく不慣れ。断続クラッチ=半クラをうまく使えということだったとは、自分で調べてやっとわかるという始末。
待ってー!!
Youtubeのホワイトベース教習所さんの方がよっぽどわかりやすいぞー!!何ならあれはクラッチ使ってなさそうだぞー!!
今思うと一本橋だって出来るようになったのは前述のYoutubeのお陰だった。コツがまとめられていてわかりやすい。一本橋を通過するにはある程度の速度がないとダメだなんて、うちの教官は一切教えてくれなかった。
先生が望む作法に気を取られ始めた頃から自損事故率が増えて、くじけそう。
担当教官から「事故られると困る」と言われたこともありますが、それならば「いっそ楽しく乗ろう!」ともっとリラックスできる環境にして欲しいなぁ~。
事故らなければそれに越したことはないけれど、いっそのこと「事故っても安全な転び方の指導」してほしいなぁ。
公道に出ているバイクの人とすれ違うたびに、いいなーうらやましいなーとつい目で追ってしまうのですが、よくみると作法もへったくれもない人多いのよね。実際のところ、教習所でいくら完璧にできても卒業後はそれぞれのスタイルに崩れていくものでしょう。教習所としては最低限乗れたらヨシ、とはいかないのですね(涙)
教官から「教習リミットまでに終わらなくてもご了承くださいね」って言われ始めてきましたが、そもそも入校後しばらくの間、教習所が混んでいるからという理由で2週間に1回ペースしか予約取れなかったりもして、身体が覚えられないままここまできてしまいました。
いつまでたっても下手なわたしが悪いのかと思っていたら、周りの人(旦那・職場の上司)から「免許取らせるための学校なのにそれは教官の指導が悪いんじゃないの?そもそもすぐに覚えられるなら教習所なんて要らない」と言われてしまった。なるほど。
自己責任だからと気負ってしまうわたしと、「指導している私は悪くない!」というような言動をとっているように見えてしまう教官。
先生の望む教習生になりきれないわたし=「できないおきょうさん像」ができあがって、どんどん憂鬱に陥っていく。季節の変わり目だし。
それでね、わたしのこのしんどさの根底に「根強い自己責任論」があるような気がしてきているのです。「(わたし自身が)できないから悪い」と思ってしまうのは、幼少期にそういう教育を受けてきたからだと思うのね。(トラウマさんこんにちはー☆)
前述の「事故っても安全な転び方の指導が欲しい」という考えも、わたし自身「そう思うわたしが自費で学ぶべき」になるのだと疑いもしていなかったけれど、旦那や職場の上司と話しているうちにふと疑問に思ってしまったのです。
お金をもらって教える立場の人ってどこまで責任持てば良いんでしょう??
自己責任論って「できない」人に本当に優しくないね。優しくない。
そりゃ国中荒むわ、そりゃ自殺したくもなるわ。うにゃー。くやしー。
と、ここまで勢いで書き殴って、決してわたし自身のことを棚上げしているつもりはないけど(書ききれないエピソードや思いもたくさんあります)棚上げになっているような文章を読み返して、コミュニケーション不全な教官と教習生という意味では同レベルなのかもしれない。
どうやったらレベルあげられるかな?
もしここで乗り越えられたら一皮むけそう♪
余談。
教習所のスタッフ曰く、世の中の女性教習生は「パートナーがツーリング好きだからわたしも取りたい」という人が大半らしく、わたしは「旦那に関係なくわたしがやりたいからやるだけです」と言ったら驚かれてしまった。(みなさんどれだけ金魚の糞なの)
だから我が家には実車はありません。わたしは教習所でしかニーグリップの練習できません。実車をすぐに調達する余裕もありません。どうしたものかしらねぇ…。
そんな状況のわたしの心境を反映するが如く、足が治ってくれなくなってしまったわけです。電磁波で死にそうな思いをしながら受けたMRIでも単なる打撲とでました。打撲なのにいつまでたってもうまく歩けない。わたしの身体は大変正直な良い子ですね。。。(汗)
諦めたくないけれど困難続き。どうなっちゃうのかしら、わたしの自動二輪。
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バイク免許取ったら、250ccに乗って関西をぐる~っとまわるのが夢。飲みたい日本酒があるし、会いたい人たちもいるし、行きたい場所もある。
夢は確かに、ある。
ただただひたすらくやしい。気持ちを切り替えて前を向きたい。