こまったねぇ

衝撃的な(とはいえ想定の範囲内の)話を告げられた。

 

どういう自分で在りたいか、突き付けられている。

きっと何を選んでも間違いじゃない。

 

決して現実から「逃げ」たくはない。

このまま差別偏見とたたかう?

なあなあにうまく渡り歩こうとする?

それともいっそ別の道を探す?

 

わたしはどういうわたしで居たい?

わたしにとっての幸せってなあに?

 

「社会のために」「誰かのために」を抜いた、わたしのための選択肢は、何になるんでしょうか?

在宅勤務からの転職、化学物質過敏症の軽快、働く幸せについて

2020年。

当時は複数人で立ち上げしたスタートアップ企業で働いていた。

現場は旦那ともう1人の3人体制で、わたしは持病(化学物質過敏症)の都合もあって、体調に合わせて在宅勤務と通勤を併用(出勤は大体週1~2日程度)他2名は通勤者。

現場がある中でひとりだけ在宅勤務という働き方は思いのほか難しかった。現場でリアルタイムに行われるやりとりにかなうものはなく、現場の意思決定に従って自宅で書類を作成するような、いわゆるサポーターとしての働き方しかできない寂しさを覚えていた。

あくまでも在宅勤務のわたしは業務の中心に居られない疎外感を感じていた。

ただ、わたしは業務運営方針を自由に考えて代表に進言できる立場にあったので、緊急事態宣言が出た翌日には、元々自分が半在宅勤務であることを活かして、全員在宅勤務に切り替える手筈を整えた。

翌週中の報道で、同僚が通勤利用していた公共交通機関の運転手が新型コロナウイルス感染症にかかったと報道されていた。

我ながら凄く対応が早くて良かったと自負している。

 

全員在宅勤務となってからは、業務に対する疎外感は減ったけれども、今度は旦那と四六時中一緒ということに息苦しさを感じ始めた。

緊急事態宣言下ということで、友達との約束が軒並みキャンセルとなり、気軽に誰かと会って遊ぶことができなくなった。

ただ、我が家は車を使わないとそもそも生活が成り立たないような地域にあるため、旦那と二人で地方へ地方へドライブしまくり、誰も居ない公園で散歩するなど、極力人と会わずして楽しむ工夫はした。

しかし、旦那とは自他ともに認める超絶仲良しで、24時間365日一緒に居て平気だったはずが、強烈な孤独感に襲われるようになった。

 

そんな時に趣味で繋がった友達とVC(ボイスチャット=通話)をするようになって、誰かと通話をしながら遊ぶということの面白さをはじめて知った。それまで他人と通話しながら遊ぶのが嫌いだった自分にとってかなり大きな変化だった。

家族以外の他人と話すことの大切さを思い知った。

 

さて、当時の会社は経営陣が他の会社を兼任している状況で、他方の会社の様子はFacebook等で流れてくることがあった。

例えば、緊急事態宣言の影響で困り果てた地元の惣菜屋さんのテイクアウトをみんなで食べました。とか。

緊急事態宣言下だからこそ三密に配慮して××しました。とか。

うちの会社の現場は原則こちらに任されているために、元々経営陣とはメールでのやりとりが主で、よくて1か月に1度しか会えない状況ではあったけれども、他方の会社内においてリアルなかかわりがあることが凄く羨ましくて仕方がなかった。

 

もう1人が事情により退職した。

 

代表はそんな中で毎週ZOOMで会議名目で連絡を取りましょうと言ってくれた。あのときは本当に心底ほっとしたねぇ。

しかし多忙を極めた方だったのもあって、翌週には「何の用でZOOMをやるのか」と不機嫌そうな顔で言われてしまった。

 

6月、限界を感じて仕事を辞めた。

 

そして数か月後、知人の紹介で再就職した。

化学物質過敏症の話をした上で、近場で通勤圏内の職場に受け入れられた。

マスクをしていても違和感のない時代になったため、マスクしながら通勤して働くようになった。

物凄く幸運なことに、現場に柔軟剤を使う人がおらず、多少のタバコ臭、シャンプー臭、まあいろんな化学物質の影響は感じるものの、マスクがあれば身体が耐えられる環境だった。

そして、その現場で出会った人たちに磨かれて、わたしは一気に元気になった。

 

現場の人たちにあたたかく迎え入れられ、適度に褒められ、適度に窘められ、素直でありのままの自分で働ける職場。報連相(報告/連絡/相談)ではなく雑相(雑談/相談)を大事にしていて、今では毎日のように笑い転げながら働いている。

一番年下の紅一点だからこそ、数日前の愚痴エントリみたいにちょっぴり複雑な思いになることはあるけれど、年上のみなさんからたくさんの人生経験と価値観の話をお聞きすることで、自分の知識や認識が変わっていく。

出社するたびに自分が成長していく楽しみがある。

わたしが笑うと、みんなも笑ってくれることが嬉しい。

 

健康管理と生きる充実感のお陰で免疫があがったのだろう。今では入職時よりも化学物質がたくさん使われている状況であってもマスクを外して普通に生活できている。

 

はてなブログお題「#この1年の変化」ということで、今回は仕事に対する変化を書き連ねてみたけれども、私生活も書ききれないほどいろいろあって、その延長線上で今年も人生のターニングポイント的な時間を過ごすことになりそう。

 

新型コロナウイルス感染症による生活様式の変化の影響というのがとても皮肉だけれども、わたしにとってこの1年はより自分らしく生きるための生まれ変わりの1年だったなぁと感じています。

選択的夫婦別姓

選択的夫婦別姓には賛成。

別姓でどんな不利益が生じるのかイメージがつかない。

だって「選択的」ということは、別に別姓を強制されるのではなく、従来通り同姓でいたい人はそのままそうすればいいのだよね?

「選択肢」を増やすことの何が悪いのかよくわからないわたくし。

 

夫婦別姓で子どもが可哀想とかいうけど、本当に可哀想なのかなぁ。

相手の状況も見ずに「片親に育てられた子は可哀想」とかいってのけちゃう"偏見"と同じように、本人たちからすればそれが当たり前でしかないものを、勝手に外から好き勝手言うのと変わらないと思う。

 

因みにわたしは夫婦で同じスタートアップ現場に拾われた時に、とある取締役から旦那は「××さん(名字)」わたしは「奥さん」と呼ばれるのが、凄い凄い凄い嫌だった。

「わたしの名前奥さんじゃないんだけど。」

こんなの他人からみれば些細なことのように思えるだろうけど、人として存在を軽視されてる気がして当時は凄く辛かった。

わたしは旦那の付属品でもなんでもない。わたしたち夫婦は対等なパートナーとしてやってきているのに、何故他人に上下関係をつけられているんだろうと思った。

もちろん既存の常識に則ってそう呼んでいただけで、取締役本人に悪気がなかっただろうことも今ならわかる。

でも「これから会社で一緒にやっていこう」という間柄への扱いとは感じられなかった。

因みに代表取締役はどちらも下の名前で呼んでくれていた。だからこそより一層気持ち悪く感じてしまったんだと思う。

 

また、夫婦で自営業をやろうとしたときに、営業の人から××代表と奥さんという見られ方をして、話をまともにとりあってもらえなかったこともある。

××代表が仕様を理解しなくても懇切丁寧なのに、奥さんに対してはちょっと見下したような態度をとられたりする。

肩書とか呼ばれ方…いわゆる「名前」「名付け」はこの国においてかなり大きな影響があると感じる。

 

そういう経験から、これから旦那と対等に何かをやりたいときは、自分は旧姓を名乗る方がいいかもと思うようになった。

だから個人的には選択的夫婦別姓という選択肢はあった方が良いと思う。

おしごとつれづれ

被害妄想かもしれないけれどもね。

 

一番年下の紅一点として勤めているため、職場のみなさんから大変可愛がっていただいているけれど、何とも言えない性別差を感じたりする。

もちろんその「可愛がってくれる」ということが「優遇」や「配慮」だったりもするし、ちょっとした「差別」「偏見」にも感じられたりもする。状況によって違うし、すべてわたしの受け取り方の問題だと把握している。

恐らく別の企業で同様の状況におかれた場合と(想像上で)比較すると「差別」「偏見」がほぼ無い部類だろうとは思う。

相手に悪意はないとわかっていてもちょっぴりかなしい気持ちになってしまうのはどうしても避けられない。これこそがわたしのこころの弱さということなんでしょうね。

 

きっと想像を絶するほどしんどい中で働いていらっしゃる方も多いのだろうなぁ。

女性であるだけで見下されることもあれば、男性であるだけで求められることもあるのでしょうね。

 

「仕事をする」って、かなり大変かつ尊いことですよね。

自営業、特にインターネット上の活動で比較的楽しみながら生きていくことに憧れる方(特に若い人)も多いと思います。

実際のところうまくやればそれ一本で生きていくことも可能かと思いますが、全員が全員それをやってしまうと社会がまわらなくなります。(全員なんてそもそも無理ですけれども)

インターネットって所詮はツールにしかすぎないはずで、リアルにきちんと根ざしたお仕事こそ尊重されるべきと思います。

インフラを担う企業にお勤めの方(特に専門技術職)にはいつも頭があがらない気持ち。

 

あーあ。今なら家庭やパートナーに癒しを求める殿方の気持ちがわかる気がするぜ…。

個人主義を極めると「結婚しなくて良い」になるのかも

別に我が家の離婚の話は周囲に隠しとおすものでもないということで、相手を選びながらも徐々に話しております。

同業他社に勤めている仲の良い同世代の方が、うちの職場に業務を兼ねて頻繁に遊びに(?)来られるのですが、最近は恋愛観や人生観なども話し合ったりしていて、まあまあ楽しいです。

その彼は「エキセントリックな(曰く、予想外な価値観を持つ)彼女が欲しいけど、少なくとも自分に合わせてもらえる相手が見つかるとは思えない。お互いに自立してべたべたしなくても良い彼女が欲しい」とのことで、「自分は生涯独身かな~」と話してました。

今日その彼に「うちは仲良いからこそ別れることにしたわ~」と報告したら、実際に夫婦仲が良いのを知っていることもあり「え、それって別に籍抜かなくても、別居で良くないですか!?」と驚かれました。

今更ながら「確かにわざわざ籍抜かなくても良いよなぁ」と思うわたしがおりました。本当に今更かつどこか他人事というね。笑

最近旦那とは「これからも家族として大切だし、もしまた夫婦になりたいと思えたら翌年再婚しよう」と話していたりするし、旦那もわたしの犠牲になっていた感覚に気付いたとのことでした。

「一旦お互いの生活を大事にしたい」という気持ちにブレはないようで、どのみち一区切りとしての離婚は必要そうです。

 

最近は「個人主義」を突き詰めると、結局「結婚なんてしなくて良いよね」という結論に至りやすいんだろうなと感じています。

コンビニがあれば食うに困らない。家事は全自動の何かがやってくれたりする。寂しければたくさんの娯楽や風俗がある。収入は低くて家族を養える状況にない。寧ろ彼氏だの彼女だの面倒臭い人間関係に責任を取らなくていい。他人と暮らすためにわざわざ我慢しなくていい。

日本の少子高齢化・生涯未婚率の増加の元凶はこのあたりにあるんじゃないかなと思います。出会いの有無だけではなく。

 

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