籍を抜きました(何も変わってない)

予定より半月程度早く、諸事情で籍を抜きました。

わたし自身は苗字も本籍すらも変わってない(離婚をしたことで新しく自分が世帯主の戸籍を作ったことにはなるが本籍住所自体は変えなかった)何よりも相変わらず仲良しの状態で、わざわざ周囲に公表する必要性も感じていないので、事実はごく一部の人たちしか知りません。

しかも転勤先離職の都合で部屋を引き払わないとならなくなり、結局元旦那と同居状態です。

でもお互い「籍抜いたから何さ?」って感じ。

籍を抜くと決めてから、旦那がアルコール中毒一歩手前になったり、急に転勤せざるを得なかったり、転勤先でパワハラにあって最終的に旦那が助けてくれたりと、まあ相変わらずバタバタした時間を過ごしていましたが、籍を抜く数日前にいろいろなこと(カルマというべきだろうか?)が解消され、それこそ「お互いに対する学び」「過去の精算」が一定の終わりを迎え、わたしという存在が一旦「亡くなりました」。

 

でもまあこれで、これから先お互いがどんな生活を選んだとしても、誰からも何も言われる筋合いはありません。相変わらず「わたしはわたし」。これで元旦那の「奥さん」ではない。個人の自由の範疇で好きに生きていける。

今は自宅がなくなったから居候させてもらっていますが、そのうち出ていくべく準備中です。いつもありがとう、マイパートナー!

 

最初は本籍地の役所窓口に行ったら、わたしの引越し手配の都合上、現住所の役所に行ってくれとのことで、元旦那とふたりで某市役所に行きました。

窓口担当になったお姉様が「離婚届」をみて「え!?」と困惑。

「あの、え、本当に離婚されるんですか?てっきりお二人の空気感からこれから入籍されるものだとばかり…。え、本当に?本当に離婚なんですか?」

申し訳ないけど信じられないとのことで数回意思確認されて、あまりにフレンドリーな方なので手続きをしながら「何故離婚をすることになったのか」など身の上話になりました。

元旦那「パートナーが「奥さん」というかたちで、僕の従属かのように見られるのが嫌だったんだよね。パートナーの方が優れていることがたくさんあったのに、いつも僕と一緒にいることで僕の功績かのようにされるのが嫌だった。」

わたし「今更扶養に入りたいとも思わないし、特別定額給付(一律10万円給付)の時に世帯主に一括されたでしょ?わたしの分はわたしに連絡してよ!としか思えなかったんですよねー」

 

お姉様に「お二人は喧嘩はしなかったんですか?」と聞かれたので、「喧嘩はそれなりにしてきたけど、一回離れて冷静になってから『答え合わせ』というかたちで『あの時自分はこういう気持ちだったんだよね』ってたくさん話し合ってきたんだよね」と答えたら、お姉様がぶわっと泣き出してしまいました。(お姉様曰く「感動した」とのことですが)

「人はみんな、こういった(届出の)かたちに縋りたいんだと思います…。私自身も色々あったので…。窓口の担当者としていろいろな人たちをみてきましたが、今日の日のことは一生忘れないと思います」

お姉様はそう言って「…お二人はソウルメイトだったんですね」と呟かれておりました。

 

おひとりごと

今ね、こんな世の中だからこそ、社会起業だの事業を起こすだのって、滅多にないチャンスだということはわかるんです。

「ピンチはチャンス」ってよく言うじゃないですか。

理想と現実という永遠の課題があって、ある程度で折り合いをつけていかなくてはならないことは十二分にわかるんですけれども、ひとに関する仕事にひとを大切にするという理念が欠けたら一瞬で人身売買になるという怖さはわかってほしい………

 

周りのいろんな事柄について、そう感じてしまった。

「ありのままで良い」に対する私見

人生つまづきまくり、七転八倒、自称カオスオブザカオスのおきょうさんです、どーもこんにちは。

今回有り金はたいてちょっと遠方に引越ししたはいいけど転勤先と折り合いつかなくなり、かといって旦那と同居も今更やね。ってことで、結婚当初住んでた大都会に戻るかもしれません。まだ正式に決めた訳ではありませんが。

何にせよ所持金ほとんどなしでのリスタートになりそうです。(状況こそ悲惨だけど不思議とそこまで苦しい訳でもない…元々結婚してからずーっと綱渡り人生だったせいで感覚が麻痺してるっぽい)

  

さて、この半年間、公私ともに人間関係に悩み続けました。愛とは何か。自分とは何か。あまりよく知らない友人にうっかり一目惚れ(ということでもういいですww)して今や疎遠、3月以降は職場の人間関係でも苦しみ、日々心中穏やかではない。

Google先生にいろんなワードで尋ねては、返されてきた記事を読み漁りました。

心情面について検索するとどうしてもスピリチュアル・自己啓発系に行きあたりがちですが、調べるたびに「ありのままの自分を認める」「自分を受け入れる」という言葉にとても多くあたりました。

「ありのままの自分ってなんだろう?」ってめちゃくちゃ悩んだ。本当に悩んだ。心底悩んだ。

 

悩み抜いた末の結論は「どんな自分であっても所詮はありのまま」でした。

自己啓発ブログを読むたびに「ありのままの自分でなくてはならない」かのように感じていたけれども、そもそも「ありのままの自分でいられない」ことも含めて「ありのまま」なんじゃないのかなぁと思うようになりました。

逆に「〜でなくてはならない」「〜ねばならない」って思考に陥らせることで「ありのまま」からかけ離れていく。

だって「べき思考」(こうあるべき)に陥る時点で既に自分らしさからかけ離れてるじゃないですか。

 

他人の意見に左右されずに自分の人生を決めていく。それこそが自分のありのまま。

自己啓発ブログが何を言おうとも、世の中の誰かが何を言おうとも「自分が納得できる自分」でいられたらそれでいいんですよね。うん。

 

だからもしかしたらもしかすると、わたし自身は「ありのままの自分ってなんだろう?」と悩み抜く前に、既にありのままの自分として生きていたのかもしれない。笑

 

最近はありのままのみならず「どういう自分でありたいのか、諦めないことこそが幸せの第一歩」かなーと感じてます。

「ありのままの自分を認める」という言葉に「諦めなさい」という意味を見出してしまっていましたが、わたし自身は「向上心を持ち続けなさい」と読みかえることで、大変気が楽になりました。

 

昨日「この人の人生経験をもっと知りたい」と思えるような方から、営業代行のお仕事(お品物のコンセプトは良さげ)のお話をもらったので、まずは自力で1個だけ売ってみようかなと思ってます。

職場の環境に不平不満があるのなら、尊敬できる人の前で、言葉よりも行動を変える。そうすれば見えてくるものもあるはずだ。

 

わたしはわたしがもつ理念を大事にする。世界平和と他人の幸せを願えるわたしでいたい。自分の労働もお金も時間もすべて自分にとって価値のあるものに注ぎ込みたい。

ひとの気持ちに余裕が生まれることで、環境も動物にも優しくなっていくことを信じている。

自分の理念を大事にした上でわたしとして生きていく。

合わないものにしがみつかない。なりたい自分を目指していい。

 

そうやって諦めずに「わたし」を生きていく先に幸せがあることを信じます。

孤高だの愚行だの未熟者だの素直すぎるのが悪いだの、いろいろ陰で言われているけれど、わたしはわたしの足でわたしの人生を歩めることを、信じます。

 

いま、お金はゼロ。ほんのちょっとの信頼を片手に、家族から自立。

33歳リスタート。どうなっていくことでしょうかね。

 

まあ、いいのさ。どうせ人生致死率100%だし。ね。

 

近況報告

職場の閉鎖→転勤に伴い、4月から別居(単身赴任)していました。

本当はそのまま籍抜いて別々ね!という予定が、会社との折り合いつかず休むことになってしまって、旦那の家に一時帰省してます。

このままだと家は解約せざるを得ないけど、とても気に入ってはいて、どうしたものかなぁと悩んでいます。

別居して生活がすごい楽だったんですよね…。どうやらお互いに。

お互いに自分のペースで自分らしく暮らすことができた。

だから旦那の家に居候というかたちで戻っても、お互いに調子を崩してずるずるしてしまいそう。

すっかり一緒に暮らさない方が良い間柄になってしまった。

 

一時的に戻ってきてもいいよとは言ってもらっているけれど、このまま家を借りたまま再就職先を探すか、一旦職場に戻ってみるか、今日とある方からいただいた営業代行案件に励んでみるか。

悪口陰口ばかりの現職にしがみついた先に未来はあるのかどうか…。

今の現場自体は好き。だけど人間関係と企業体質が合わない。あと多分企業寿命自体はそれなりに先が短いと思う。

どのみちわたしの世代で今の職場に終身雇用はあり得ない。

 

結局のとこ、自分も自分に言い訳ばっかりで、生きていくのに向いてないなぁ。

 

類友で居たいの?

文字で事細かに伝えられない「パワハラ」的な関わり合いの苦しみ。

うちは所長>現場責任者>自分たちスタッフ、という上下関係(?)がありますが。

 

とうとう前現場の現場責任者(が、異動してきて現在の職場でも現場責任者になった)まで、こちらの話を聞かずに色々言ってくるようになり…

前々から何か不満に思っていたのなら、その都度直接指摘してほしかったなぁ。

ひとつミスしたことに、突然「いつもお前が悪い」って言ってくるのは傷つく…。

 

うちの法人は業務を丸投げしあってるようにみえてしまう。

例えば…法人本部の労務事務担当者から、「おきょうさん、おきょうさんの雇用条件通知書に不備があるみたいなんですけど、どういうことでしょうか?交通費がこの金額支給されるとは思えないんです。これでいいんでしょうか?」と言われた。

「それを作成したのは所長なので、所長にきいてくれませんか?」と言うと、「おきょうさんから聞いておいてくれませんか?」と言われてしまう。

 

その他にも色々。

何かが気になるなら自分から直接当事者に確認すれば手取り早いのに、自ら確認せず第三者からの報告を待ち続け、不利益を被ると他人のせいにしてばかり。。

 

ここで我慢して働くことは十分可能。

でもあちこちの人たちが、我慢して、我慢して、他人の悪口を陰で言い合っている。

自分もちょろっと同調しそうになったり、うっかり同調してしまったり…。

自分のことが大好きだったときは、傷つくことをも恐れずに他の方と直接意見を交換しあっていたのに。

今こうして自分のブログで不満ばかり書いている時点で同じ穴のムジナになってしまっていると感じる。

 

そんな自分のことが今はめちゃくちゃ大嫌いだ。

 

どういう自分でありたいかを考えたときに、自分が身を置く世界は十分に検討すべきですね。

これからいろいろな人に会うことにします。わたしを取り戻したい。

 

まずは心底傷ついた自分を認めてあげるところから。